東映YouTubeで配信された仮面ライダークウガが最終回を迎えましたので今回は全体を通しての総括を。
まずクウガはRX以来のTVシリーズのライダーとして製作されましたがその作風は明らかに今までのライダー、ひいては今までの特撮ヒーローとは一線を画していました。まず一つにリアルな世界観にあります、今までのライダーや特撮ヒーローならばヒーローの存在は広く認知されて大々的に祭り上げられるものなのですがクウガの別名「未確認生命体第4号」という呼称からも分かる通りクウガは世間的にはグロンギと同じ未確認生命体として扱われて決してヒーローとして祭り上げられることはありませんでした。思えば最初の仮面ライダー1号も元々ショッカーの脱走者で言ってみればライダー1号もショッカーも本質的には同じ存在なのです、ですがライダー1号はショッカーと戦うなかで人々からヒーローとして広く認知されていきますがクウガはどれだけグロンギを倒そうがヒーローとして認知されることは最後までありませんでした。それはクウガのことを知らない人間からすればクウガもグロンギも同じ異形の存在でしかないからです、それは最初の頃警察がクウガに対しても発砲していたことからも明らかでしょう。ですが一条さんを始めとした未確認生命体対策班の刑事達は五代と関わるうちに徐々に五代との信頼関係を築いていって中盤からはクウガの戦いを全面的にバックアップしていくことになります。というわけで二つ目の今までのライダーと違う点として警察との連携があります、今までの警察は悪の組織の存在を知らなかったり信じなかったり遭遇しても一方的にやられることが殆どだったのですがクウガに登場する警察はただ一方的にやられるだけではなくグロンギの行動や特性を分析してそれに対抗しうる戦力を次々と開発していきました。最終的に神経断裂弾で怪人体のラ・ドルド・グや人間体のラ・バルバ・デを倒すまでに至りました、それも全てクウガとの連携があったからこそでした。
クウガのもう一つの魅力として奥深い人間ドラマがあります、知っての通りクウガにはサブライダーは居ませんがその分五代を取り巻く周囲の人間達のドラマがかなり深く描かれていました。ライジングペガサス登場回ではクウガとグロンギの戦闘シーンを極力少なくして話の殆どを五代の恩師の神崎先生の教え子の少年のドラマに割いていました。それと夏目実加ちゃんや蝶野といったゲストキャラクターを1回だけのゲストで終わらせずにその後についてもちゃんと描写されていました、特に実加ちゃんに関しては度々登場していた程です。さらに終盤ではレギュラーの登場人物に関しての人間ドラマも深く描かれ44話から46話の榎田さんのドラマは一種のホームドラマのようでした。
クウガの登場人物としてはなんといっても一条さんの存在はかなり大きいでしょう。真面目な性格の一条さんは当初は民間人である五代を未確認生命体の事件に関わらせないようにしていました、それは警察官として民間人を巻き込みたくないという想いからでした。しかし五代と関わるうちに次第に五代に信頼を寄せるようになり最終的には一条さんがパイプ役となって警察全体が五代をバックアップしていくようになります。そして一条さんは一見五代と異なるようで本質的には五代と同じなのです、五代は自分を省みずにグロンギと戦っていましたが一条さんも自分を省みずに刑事としてグロンギと戦いました。最初の頃に一条さんが五代に言った「もっと自分を大切にしろ」という台詞はそっくりそのまま一条さんにも当てはまるわけです、つまり一見性格が異なる五代と一条さんは他人のために自分を犠牲に出来る人間だったからこそ二人は息のあった連携が出来たわけです。それに五代も一条さんが居なければグロンギとの激しい戦いも決して勝てなかったでしょう、それだけ一条さんの存在は大きかったのです。
あとクウガについて言っておかなければならない点として暴力についての描写があります。グロンギはゲゲルという殺人ゲームで人間達を文字通りゲーム感覚で平気で殺していました、グロンギは自分達のために平気で暴力を振るう種族なのです。そんなグロンギに対して五代も暴力を振るわざるをえなくなります、ですが争い事を好まない五代は当初は拳を振るうことを躊躇していました、そのために最初は不完全なグローイングフォームにしかなれませんでしたが五代がみんなの笑顔を守るために戦う決意をした時完全なマイティフォームになりました。しかし五代が拳を振るうことに平気になったというわけでは決してありません、五代はずっと暴力でしか解決出来ないことに悲しみその拳には殴ることへの痛みを抱えていました。普通ヒーローが悪を倒すために力を行使することは正当なことだと認識があるのですがクウガではあくまでも暴力として捉えてそれを決して肯定しませんでした、それは蝶野に殴られた椿さんが言った「俺を殴ってどんな感じがした?嫌な感じがしただろう。それをあいつはずっとやってるんだ、誰にも弱音を吐かずみんなの笑顔を守るためにな」という台詞や五代の「これ(暴力)でしかやり取り出来ないなんて悲し過ぎるから」という台詞からも明らかです。つまり五代はみんなの笑顔を守るためにグロンギに対して本当は好まない暴力を振るわざるをえなかったわけです、しかしそのために自分の笑顔を削らざるをえなくなり五代の心には深い傷が残りました。ダグバとの最終決戦の時五代は泣きながらダグバを殴っていましたが五代はクウガの仮面の下ではずっと泣いていたのかもしれません。最終回グロンギとの戦いを終えて一人の冒険野郎に戻った五代は異国の地で子供達を笑顔にしていました、もしかしたら誰かを笑顔にすることで自分の笑顔を取り戻しているのかもしれません。
グロンギとの対してを終えて五代はクウガとして戦う重圧から解放されたわけですが私が思うにそんな五代だからこそもう二度と戦いに巻き込むのはどうかと思うわけです、ディケイド以降オールライダー映画でクウガは度々登場していますがその全てに登場するクウガは五代とは無関係なものだと私は思います。争いを好まず殴ることへの悲しみや痛みを背負った五代がヒーロー同士の争いに普通に加わるでしょうか?いえいえ、五代ならば決してヒーロー同士の争いに加わることはないはずです。従って春映画に登場するクウガは五代とは全く無関係なものだと私は思うわけです、強いて言えばディケイド以降に登場しているクウガは全て小野寺ユウスケだろうと思います。小野寺ユウスケは五代と似たような点もあるにはあるのですが五代と決定的に違う点として熱血漢というのがあります、それはユウスケが変身したクウガが変身直後にファイティングポーズを取ることからも明らかです。つまりクウガとしての使命を終えて一人の冒険野郎に戻った五代の代わりとしてクウガとして戦い続ける使命を背負ったのが小野寺ユウスケというわけです。というわけで私が思うに春映画でクウガを本人として出すならば小野寺ユウスケを本人として出した方がいいだろうというわけです、安易に五代を春映画に出すのもどうかと思いますし五代を再び登場させるならば春映画で出すよりもクウガ単独で映画化した方がいいと思うわけです、一番適切な方法としては後日談を描いた小説の映像化というのが一番ベストでしょうか?というわけで平成ライダーの最初にして傑作のクウガを皆様も是非観てはいかがでしょうか?最近bluelayboxも発売されましたので気になった方は是非チェックしてみてはいかがでしょうか?というわけで以上でクウガの総括を終わります。
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仮面ライダークウガ総括
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